ヨットレース―柏市長杯

 本日〈2017/0820〉は柏市長杯のヨットレースだった。
0~1メータの超微風の中でのレースだった。

私には苦手な風だ。7艇ほどのレーザー艇と2艇のシーホッパー艇と5艇のシカーラ艇(二人乗りのスループ艇)でのレースだ。
顧問の目黒さんや強敵の綾野さんや
私と同じシーホッパーで参戦したレース委員長の松窪さんなどアルバトロスクラブのほぼフルキャストだった。
北海道から女性の手代木さんもレーザーで参戦してくれた。手代木さんは帆のやや小さなラジアルリグだ。

レース全体を統率するのは斎藤理事長だ。
斎藤理事長の声は良く通り、指示は明快で分かりやすい。


レースの準備には先日から万全を期していたつもりだった。
いつも水に浮かべて桟橋に着けているので底には藻が付着している。
それで艇を桟橋に引き上げて船底をきれいにする。今回はアウトホールの調整をしたり、トラベラーのロープを交換したりした。

前日にはいつもより早く寝て、六時間半程度寝て、五時半頃に目が覚めた。
いつものようにコーヒーを飲み干して手賀沼に車を走らせた。
日曜日の朝は道がすいていた。途中で柏の逆井駅の踏切で列車の通過でしばらく待たされたりしたが
それでも28分ほどで手賀沼に着いた。
30分以内で手賀沼に到着したのは初めてだった。

車で手賀沼に八時前には到着したが、すでにシカーラ艇は艤装を終えていた。
いつも、車のトランクルームに置いてある手作りの風見がないことに気が着いて
焦った。風見が無くてもセーリングは可能だが、レースの厳しい状況では
風の変化をいかに正確に捕えるかがポイントなので
風見なしではとても戦えるような気がしなかった。
それで、持っていたアクリルの毛糸をバングの三か所に取り付けた。
何とか、それでも風見にはなった。

私は最近は好調で、先月のアルバトロス杯では優勝していた。クラブのレースで優勝したのは初めてだった。
もしやすると、今回の大会でも活躍できるのではないか?うまくすると表彰されるのも夢ではない!
などと妄想が膨らんでいた。それで、いつもよりかなり緊張してレースに臨んだ。


10時にレースが始まった。
第一レースは午前10時にシカーラ艇がスタートして、五分遅れでシングルハンドがスタートした。
スタート時はそこそこの風が吹いていた、スタート直後に私は綾野艇にぶつけてしまった。
以前にレーザーに乗艇していた私は、二年前からシーホッパーに乗り始めたが、シーホッパーは直進性が良くて、その分タックなどの回転がしにくい。
回転半径が大きくなってしまってレーザーのような感覚で回転するとしばしば他艇にぶつけてしまう。
「他艇に邪魔にならない所で二回転します!」
と大声を出した。

艇は橋をわたり順調にセール出来て手賀沼公園の前辺りの広いエリアに来たので
「松窪さん!、今から罰則に二回転をやります!」
と言って、やったが、松窪さんはこちらを振り向くこともなかった。
罰則に二回転をやっている間に他艇に追いつかれるものと覚悟していたが、
終わってみると、大して差が付けられてはいなかった。

北柏に設置するはずの回航マークを微風のレースになったためにコース短縮して
いつもの半分程度の距離になるように救助艇が回航マークを打ち直した。
この時、進行方向に対してかなり左側にブイを置いたために、左側をセールしていた
松窪艇と私の艇ががぜん有利になった。
そのことも幸いして、松窪艇がトップでマークを回航し、続いて私の艇が
続いた。
それからは、微風の登りだった。松窪艇と私の艇とが激しく競り合ったが
橋を渡る時にかなりの差がついてしまった。

松窪艇が圧倒敵に大差をつけてゴールを切り、続いて私が、
しばらく遅れて目黒艇が、それからかなり遅れて綾野艇がゴールした。

第二レースは十二時に始まった。
十二時にシカーラ艇がスタートしてシングルハンドは五分後にスタートした。
綾野艇がフライイングをして、再スタートになった。
再スタートに手間取っているようだった。

スタート直後に混乱を抜け出してトップに躍り出た。今回は松窪艇もリードしているようだった。
いつものようにフィッシュセンターへと抜けるコースをロールタックを繰り返してセールした。
他艇は私と異なり、進路を左側に取った。
必死にセールして風上に対して他艇より前に出ていることを確信して辺りを見回した時に
回航マークがかなり左の方にあり、しかも私の艇がそれよりも風上にいることがわかり愕然とした。
アビームでマークに向かった。他艇が上ってくるのが確認できた。
スタートに失敗してかなりのハンディを背負ったはずの綾野艇がいつのまにかトップになっていた。
目黒艇、松窪艇に続いて私の艇がマークを回航した。
マーク回航後は下りになり目黒艇・松窪艇・私の艇が
競り合って、綾野艇がかなり前方にいた。
みんなバイザリーで艇を目いっぱいアンヒールさせていた。
もし、目黒艇と松窪艇を抜ければ私の優勝だった。
松窪亭を抜ければ、私の三位入賞が決まる。
ものすごく、力が入った。
レーザーの目黒艇よりはシーホッパーの私の方が早いのでは?
などと思うとものすごく力が入った。

しばらくは目黒艇・松窪艇・私の艇が大接戦だったが、
手賀大橋近くのゴールが近づくに従って、目黒艇が早くなり
遂には綾野艇も捕えてゴールした。私は松窪艇にも最後に離されて
4位に沈んだ。手賀大橋が近づくほど、風は激しく変化して
技術の差が差が出てしまったのだ。

結局、目黒艇が優勝し、松窪・綾野が続いた。

手代木さんは6位だった。もし、ラジアルではなくスタンダードのレーザーで参戦していたら
私は負けていたのだろう!
今回は時間計測はやったが、スタンダードとラジアルの差までは計算しなかったようだ。

レース後はものすごい疲れが残った。
これほどくたびれたのは何十年も経験していなかったように思われた。

《アルバトロスの強豪と競えたことはうれしかったが、
負けた悔しさの方がはるかに強かった》

レース後には宴会が始まった。私は車の運転のために酒は飲めなかったが
仲間との話は楽しかった。
目黒さんは
レースの最後の場面を振り返って
風の変化に如何に対応したかを話してくれた。
水面を観察しているとのことだったが、いつも水面を見ているつもりの
私には、レースの最終局面での水面の変化は全く読めなかった。
私はこの風へ変化への対応能力が劣っていたようだ。
第二レースの最終局面での風の変化は激しくシカーラ艇でも
決定的な差が着いた。それまで、トップを走っていた小泉・富田艇がゴール前の1メータで
突然変化した風のためにしばらくゴールできず、後続の伊藤・米原艇がゴールを先に切って
優勝した。

レース後の宴会では、大ベテランの小泉さんがゴール前で失速したことを嘆いていた。
優勝した伊藤さんは
「先行しているシングルハンド艇が、風の変化を受けているのを見れたので
風の変化を容易に対応できて、非常にやりやすかった!」
と喜んでいたが、他艇を見るゆとりがあったのは、さすがだ。
私にはそうしたゆとりは全くなかったのだ。

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