何故、ヨットをやりたいと思ったのはかはわからない。
大学に入学した時に、ヨット部に入るべきか、
ギター部に入るべきか悩んだが、ギター部に入った。
ギターを開始し爪を伸ばした。その上、近眼だった。
当時はガラス製のメガネだったので、ヨットには向かなかった。
それでヨットを諦めた。
いつのころからヨットに興味を持つようになったか
も全く不明だ。
けれども、はっきり言えることがひつだけある。
ヨットに乗りたいと
思ったのはレースに出るためではなかった。
レースは頭の中には全くなかったのだ。
50歳にしてヨットをやりだした当時(2000年)の
多摩地区に住んでいた。
唯一ヨットが出来る環境が
若洲であり、若洲のヨット教室だった。
若洲のヨット教室は東京都ヨット連盟関連の人や
関連の団体が運営していたので
基本的にはレース一色だった。
選択の余地はなくレースに参加して腕を磨くのが
ヨットを自由に操つれるようになるための
唯一の道だった。
実際、
《ヨットの技量を磨くのはレースに参戦するのが
一番の近道!》だろう。
最初は、教室のスタンダードであるスナイプ艇に乗艇して
レースに参加した。
二年後にはレーザー艇でスナイプ艇に混じってレースに参加した。
操船できるようになるのが主眼だったので
レースそのものよりも、レース海域に行ったり、
レース海域からハーバーに帰ることが何より楽しみだった。
セーリングそのものに集中できるからだった。
風が上がり安全のために
レースを中断してハーバーに早めに帰着することがしばしばあったが
そうした時にはレーザーはブロードリーチの風などを受けて
水しぶきを上げながら爆走する場面もあった。
また、ある時にはそれがどういう走りかもわからずに
〈バイザリー〉のセールで爆走したこともあった。
行きがかりで〈バイザリー〉の走りになってしまって。
《このセールは違う!》と思ったけれども
風が強くてセールのコントロールを動かせない上に
意外と強風下でも安定してセール出来たので
そのままセールを続けたのだ。
それが〈バイザリーのセール〉だと知ったのは
ずっと後のことだった。
スリル満点で非常に楽しかった。
そうした時には、いつもは全く歯が立たないスナイプ艇より
も早くハーバーに帰着した。
レーザー艇はスピードが上がってくるとプレーニング
(船体が浮き上がって飛ぶように走る)するのだ。
レーザーのやや帆の小さなラジアルに乗艇していたこともあり、
スナイプと中風以下の風でレースで戦うのは全く無理なことだった。
それでも、腐ることもなく続けられたのは
〈レース志向〉でなく、毎回、どん尻をはるか遅れて
競争しても、大した苦にはならなかったためかもしれなかった。
大学に入学した時に、ヨット部に入るべきか、
ギター部に入るべきか悩んだが、ギター部に入った。
ギターを開始し爪を伸ばした。その上、近眼だった。
当時はガラス製のメガネだったので、ヨットには向かなかった。
それでヨットを諦めた。
いつのころからヨットに興味を持つようになったか
も全く不明だ。
けれども、はっきり言えることがひつだけある。
ヨットに乗りたいと
思ったのはレースに出るためではなかった。
レースは頭の中には全くなかったのだ。
50歳にしてヨットをやりだした当時(2000年)の
多摩地区に住んでいた。
唯一ヨットが出来る環境が
若洲であり、若洲のヨット教室だった。
若洲のヨット教室は東京都ヨット連盟関連の人や
関連の団体が運営していたので
基本的にはレース一色だった。
選択の余地はなくレースに参加して腕を磨くのが
ヨットを自由に操つれるようになるための
唯一の道だった。
実際、
《ヨットの技量を磨くのはレースに参戦するのが
一番の近道!》だろう。
最初は、教室のスタンダードであるスナイプ艇に乗艇して
レースに参加した。
二年後にはレーザー艇でスナイプ艇に混じってレースに参加した。
操船できるようになるのが主眼だったので
レースそのものよりも、レース海域に行ったり、
レース海域からハーバーに帰ることが何より楽しみだった。
セーリングそのものに集中できるからだった。
風が上がり安全のために
レースを中断してハーバーに早めに帰着することがしばしばあったが
そうした時にはレーザーはブロードリーチの風などを受けて
水しぶきを上げながら爆走する場面もあった。
また、ある時にはそれがどういう走りかもわからずに
〈バイザリー〉のセールで爆走したこともあった。
行きがかりで〈バイザリー〉の走りになってしまって。
《このセールは違う!》と思ったけれども
風が強くてセールのコントロールを動かせない上に
意外と強風下でも安定してセール出来たので
そのままセールを続けたのだ。
それが〈バイザリーのセール〉だと知ったのは
ずっと後のことだった。
スリル満点で非常に楽しかった。
そうした時には、いつもは全く歯が立たないスナイプ艇より
も早くハーバーに帰着した。
レーザー艇はスピードが上がってくるとプレーニング
(船体が浮き上がって飛ぶように走る)するのだ。
レーザーのやや帆の小さなラジアルに乗艇していたこともあり、
スナイプと中風以下の風でレースで戦うのは全く無理なことだった。
それでも、腐ることもなく続けられたのは
〈レース志向〉でなく、毎回、どん尻をはるか遅れて
競争しても、大した苦にはならなかったためかもしれなかった。
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