郷里の新居浜市でヨットに乗ったのは53歳の時だった。
当時、電機メーカーの試験所の運営を担当していた私は
ドイツの最も厳しいと云われる試験所の監査対応のために
五月の連休を返上して監査に臨んだ。
監査が無事終わりホットして、代わりに休みを取って、
郷里の新居浜市に帰省していた。
六月の梅雨前の晴れた初夏の一日だった。
新居浜市には立派なヨットハーバーが出来ていた。
財政豊かな日本財団が作ったのだろうか?
新居浜市が管理していた。
そこで、初めてシングルハンドのヤマハのシーホッパーに乗艇した。
ハーバーを出ると。艇は快走した。南の4メータほどの風だっただろうか!
アビームの風を受けて、波穏やかな瀬戸内海を艇は滑るように良く走った。
前方の島影の釣り船に近づいた。
漁の邪魔にならないように手前で艇を反転させて
西へと向かった。やがて西側の定置網が近づいてくると
また、艇を反転させた。
西へ東へと島の前の漁船と西の定置網の間を行ったり来たりを
繰り返した。それだけのセールだったが、楽しくてたまらなかった。
時々、帆を下から見上げてはこの小さな帆で
こんなにも良く滑るように走るものだと
感心した。
当時、ヨットを始めて三年目だった。セーリング連盟の
バッジテストの初級に合格したばかりだった。
ヨットを始めてからは二枚帆で二人乗りのスナイプに乗艇していた。
スナイプ以外のヨットには乗ったことが無かった。
当時の私の頭には二枚帆のヨット以外はなかった。
それで、新居浜のハーバーでヨットに乗る時に
一人だった私にシーホッパーを勧めてくれたが
物足りなく思って、一枚帆の小さなシーホッパ艇にのることをためらった。
ひとりでも、二枚帆の艇に乗れなくはない。と思っていたのだ。
「こっちの方が絶対面白いですよ!」
と云う若いインストラクターの勧めに押し切られ
シーホッパーに乗った。
乗ってみると確かに非常に楽しかった。
軽い、薄い船体は滑るように穏やかな瀬戸内海の
水面を快走してくれた。
当時、電機メーカーの試験所の運営を担当していた私は
ドイツの最も厳しいと云われる試験所の監査対応のために
五月の連休を返上して監査に臨んだ。
監査が無事終わりホットして、代わりに休みを取って、
郷里の新居浜市に帰省していた。
六月の梅雨前の晴れた初夏の一日だった。
新居浜市には立派なヨットハーバーが出来ていた。
財政豊かな日本財団が作ったのだろうか?
新居浜市が管理していた。
そこで、初めてシングルハンドのヤマハのシーホッパーに乗艇した。
ハーバーを出ると。艇は快走した。南の4メータほどの風だっただろうか!
アビームの風を受けて、波穏やかな瀬戸内海を艇は滑るように良く走った。
前方の島影の釣り船に近づいた。
漁の邪魔にならないように手前で艇を反転させて
西へと向かった。やがて西側の定置網が近づいてくると
また、艇を反転させた。
西へ東へと島の前の漁船と西の定置網の間を行ったり来たりを
繰り返した。それだけのセールだったが、楽しくてたまらなかった。
時々、帆を下から見上げてはこの小さな帆で
こんなにも良く滑るように走るものだと
感心した。
当時、ヨットを始めて三年目だった。セーリング連盟の
バッジテストの初級に合格したばかりだった。
ヨットを始めてからは二枚帆で二人乗りのスナイプに乗艇していた。
スナイプ以外のヨットには乗ったことが無かった。
当時の私の頭には二枚帆のヨット以外はなかった。
それで、新居浜のハーバーでヨットに乗る時に
一人だった私にシーホッパーを勧めてくれたが
物足りなく思って、一枚帆の小さなシーホッパ艇にのることをためらった。
ひとりでも、二枚帆の艇に乗れなくはない。と思っていたのだ。
「こっちの方が絶対面白いですよ!」
と云う若いインストラクターの勧めに押し切られ
シーホッパーに乗った。
乗ってみると確かに非常に楽しかった。
軽い、薄い船体は滑るように穏やかな瀬戸内海の
水面を快走してくれた。
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