レースの初日になった。
ソウルは晴れていた。
ホテルで朝食を済ますと関係者一同バスに
乗り込んだ。
レーザー級の3名、女子のレーザー2名、
470の6名、オプティミストディンギーの子供3名
と東京都連の世話役である。
ハン川のハーバーに到着すると
開会式が始まった。
日本チームを代表して
「世間はなにやら、騒がしいが
日韓対抗戦を今年も開催できた!
これからも、続けていく!」
という東京都ヨット連盟の
佐藤精知夫名誉会長の挨拶もあった。
当時も日韓に政治的な問題があり
やや不穏な雰囲気もあったのだ。
ソウルヨット連盟の代表の話が終わり
催し物が始まった。
美しい女性が韓国の伝統の踊りを見せてくれた。
続いて地元の20名ほどの若者たちによる
テコンドーの演武が披露された。
日本の空手とは異なり、テコンドーは飛び舞う
デモンストレーションで
少年たちはスマートで良く訓練されていた。
それから、〈君が代〉が流れた。
国歌の元にレースを戦うのは先にも後にも
これだけだった。
セレモニーも無事の終わりレースが始まった。
風は中風の最もセールしやすい風だった。
470が最初にスタートした。
しばらくするとレーザー艇がスタートラインに
集まって来た。
10隻ほどだ。
6隻は男子、4隻は女子である。
男性は28~65才まで、
女性は全て高校生である。ラジアル艇だった。
私は、ともかくスタートラインの近くに艇を止めていた。
《スタートが切られても、スタートラインのほるか後方
にいてなかなかスタートラインが切れないと云う
愚行を避けたい!》
と思っていた。
近くにいた福井さんが
センターボードを下げるように指示してくれた。
注目の〈金青年〉は黒い船底の船であることを教えてもらった。
金青年は
黒い船底がはっきり見える程を大きく傾けては
豪快なロールタックを繰り返していた。
私のライバルである、32才の青年は
顔に日焼け止めクリームをたっぷりと塗っていた。
スタートの号砲が鳴った。
金青年・福井コーチ・韓国の元オリンピック選手・32才の韓国青年は
スタートを切るとすぐ右にタックして先行して行ってしまった。
予想通り私は遅れて進路をそのままに左方向に向かった。
予定通りだった。
《私の技量では強豪と競り合うことは不可能だ。それよりも
遅れても良いから、他艇に邪魔されないクリーンエアの中を
セールしよう!》
と思っていたのだ。
左のクロースホールドを走りやがて左側の岸壁近くの良好な風を捕えて
タックして上マークに向かった。一人きりだが、焦りはなかった。
上マークに到着すると私のすぐ前を32才の韓国青年がセールしていた。
私の後方には高校生の女学生たちと65才のおじさんの艇が見えた。
予定通りだった。
ライバルの韓国青年を追ったが最後まで追いつくことが出来なかった。
先行しているトップグループの三艇は誰が勝ったのか全く見当もつかないほど
はるか前方を走っていた。
私は5位に終わった。
それから、さらに2レース程セールしたが
ほぼ同様だった。
ただ、三レース目はスタートラインでわが艇は停止したまま、全く動かせずに
取り残されて、近くにいた本部艇やクルーザーに乗艇している聴衆の目もあり
非常に恥ずかしい思いをした。
ただ、最後のレグで流し込みのゴールを切る直前に32才のライバルを
追い抜いて、カタマランのクルーザーに乗艇していた聴衆が拍手をしてくれた。
結局この日はライバル青年に二勝一敗だった。
レース後に結果が張り出されたが、なんと私が
三位だった。
韓国の元オリンピック選手が一レースを〈DNF〉となり
私が繰り上がって三位になったのだ。
我が福井コーチが金青年を制してトップだった。
《明日、もし悪天候でレースが中止にでもなれば
私も表彰される!》
などと思った。
ソウルは晴れていた。
ホテルで朝食を済ますと関係者一同バスに
乗り込んだ。
レーザー級の3名、女子のレーザー2名、
470の6名、オプティミストディンギーの子供3名
と東京都連の世話役である。
ハン川のハーバーに到着すると
開会式が始まった。
日本チームを代表して
「世間はなにやら、騒がしいが
日韓対抗戦を今年も開催できた!
これからも、続けていく!」
という東京都ヨット連盟の
佐藤精知夫名誉会長の挨拶もあった。
当時も日韓に政治的な問題があり
やや不穏な雰囲気もあったのだ。
ソウルヨット連盟の代表の話が終わり
催し物が始まった。
美しい女性が韓国の伝統の踊りを見せてくれた。
続いて地元の20名ほどの若者たちによる
テコンドーの演武が披露された。
日本の空手とは異なり、テコンドーは飛び舞う
デモンストレーションで
少年たちはスマートで良く訓練されていた。
それから、〈君が代〉が流れた。
国歌の元にレースを戦うのは先にも後にも
これだけだった。
セレモニーも無事の終わりレースが始まった。
風は中風の最もセールしやすい風だった。
470が最初にスタートした。
しばらくするとレーザー艇がスタートラインに
集まって来た。
10隻ほどだ。
6隻は男子、4隻は女子である。
男性は28~65才まで、
女性は全て高校生である。ラジアル艇だった。
私は、ともかくスタートラインの近くに艇を止めていた。
《スタートが切られても、スタートラインのほるか後方
にいてなかなかスタートラインが切れないと云う
愚行を避けたい!》
と思っていた。
近くにいた福井さんが
センターボードを下げるように指示してくれた。
注目の〈金青年〉は黒い船底の船であることを教えてもらった。
金青年は
黒い船底がはっきり見える程を大きく傾けては
豪快なロールタックを繰り返していた。
私のライバルである、32才の青年は
顔に日焼け止めクリームをたっぷりと塗っていた。
スタートの号砲が鳴った。
金青年・福井コーチ・韓国の元オリンピック選手・32才の韓国青年は
スタートを切るとすぐ右にタックして先行して行ってしまった。
予想通り私は遅れて進路をそのままに左方向に向かった。
予定通りだった。
《私の技量では強豪と競り合うことは不可能だ。それよりも
遅れても良いから、他艇に邪魔されないクリーンエアの中を
セールしよう!》
と思っていたのだ。
左のクロースホールドを走りやがて左側の岸壁近くの良好な風を捕えて
タックして上マークに向かった。一人きりだが、焦りはなかった。
上マークに到着すると私のすぐ前を32才の韓国青年がセールしていた。
私の後方には高校生の女学生たちと65才のおじさんの艇が見えた。
予定通りだった。
ライバルの韓国青年を追ったが最後まで追いつくことが出来なかった。
先行しているトップグループの三艇は誰が勝ったのか全く見当もつかないほど
はるか前方を走っていた。
私は5位に終わった。
それから、さらに2レース程セールしたが
ほぼ同様だった。
ただ、三レース目はスタートラインでわが艇は停止したまま、全く動かせずに
取り残されて、近くにいた本部艇やクルーザーに乗艇している聴衆の目もあり
非常に恥ずかしい思いをした。
ただ、最後のレグで流し込みのゴールを切る直前に32才のライバルを
追い抜いて、カタマランのクルーザーに乗艇していた聴衆が拍手をしてくれた。
結局この日はライバル青年に二勝一敗だった。
レース後に結果が張り出されたが、なんと私が
三位だった。
韓国の元オリンピック選手が一レースを〈DNF〉となり
私が繰り上がって三位になったのだ。
我が福井コーチが金青年を制してトップだった。
《明日、もし悪天候でレースが中止にでもなれば
私も表彰される!》
などと思った。
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