日韓対抗戦出場決定

 勤めていた会社の試験所に電話があった。

残り少なくなった定年までの期間を
試験所の運営に当たっていた。
それまでの、研究生活がほとんど会社の利益に貢献できない
ことにある種の後ろめたさを感じていた。
それに比べると
 この試験所の仕事であれば
地味ではあっても、確実に会社には貢献できると思っていた。
そういうこともあって、試験所の事務所の入り口に机を
置いて陣取っていた。張り切っていたのだ。

 外線が入り机の上の電話がなった。
若洲の教室の中心的な田中コーチからの電話だった。
「この11月度のソウルで開催される日韓対抗戦に
出場してもらうことが決定しました」
「エー、日韓対抗ヨットレースにでられるのですか?」
思わず大きな声を出してしまった。
職場の視線が一斉に注がれた。

 誰にも、ヨットをやっていることを話してはいなかったが
以降、皆の知るところとなった。

 日韓抵抗ヨットレースと云うのは東京都ヨット連盟と
ソウルヨット連盟が毎年、若洲とソウルのハン河で交互に
開催している親睦ヨットレースのことである。
ヨット教室からも二名ほどが毎年出場していた。
 強豪チームが選抜されていた。
レースでレーザーに乗艇していていつも最下位であったから、 
日韓対抗戦に出場させてもらえるのは予想できることではなかった。
日韓対抗戦に出場できたのは多分、レーザー艇の空きが
一艇あったのだろうと思った。


 参加費は三泊四日の旅費と宿泊費と懇親会の費用のみの
負担で4万円あまりだった。
 レーザー艇は現地で調達してくれることになっていた。
ただし、いつも乗っているラジアルリグではなく
帆の一回り大きいスタンダードリグとのことだった。
 レースは二日に渡って行われ、練習日が前日一日あった。
三日間セールすることに成っていた。

 次の休みに若洲に行くと、小山コーチから話があり
「レーザーのコーチを元チャンピオンの福井さんに
やってもらうことにしました!頑張ってください!」
と云われた。

20名ほどのヨット教室のレース口座に参加していた
仲間に日韓対抗戦に出場することを紹介された。

 ソウルのハン河は寒いのでドライスーツを購入することになった。
小山コーチの紹介もあり3万円台と云う格安でドライスーツを
手に入れることができた。 
 若洲ヨット教室のライフジャケットを使っていて
自分のを持っていなかったので、小山コーチの
ライフジャケットを借りていくことになった。

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